2010年08月05日

企業大学

あとで読む江戸時代末期から明治にかけて越後長岡藩に,小林虎三郎という人がありました.
この人物は,吉田松陰(吉田寅次郎)と同じ象門の門下生ですが,「象門の二虎」と称せられるほどに学問に秀でていたそうです.

長岡藩は戊辰戦争後,経済的に大変な窮地に立たされます.窮状を見かねた三根山藩が米を百俵贈っています.この時小林虎三郎は,もらった百俵の米を全て売り払ってしまう.長岡藩には腹をすかした民が大勢いたのに,米を売って手にしたお金で学校に必要な教材や機材を買うのです.
この時小林虎三郎は「国が興るのも,街が栄えるのも,ことごとく人にある.食えないからこそ,学校を建て,人物を養成するのだ」と言っています.

苦しいときにこそ人を育成する.
「人口」とはよく言ったもので,人には皆,口が付いています.国は民にモノを食べさせなければならない.経済的に困窮している国にとっては,大きな負担です.しかしそれに耐えて人を育成すれば,食べさせなければならなかった民が,街を栄えさせ,国を興すのです.

この精神が,日本的経営「人は育てて遣う」の根源です.


原田師はよく自分の会社を「企業大学」と呼んでいました.
農村から出てきた学歴の低い若者を,一から育て上げるのに情熱を注いでいました.

大学と言っても「教える」のではありません.「育てる」のです.
知識を教えるだけではなく,その知識が能力となり行動できるように育てるのです.

お腹が空いている人に魚を与える.与えた魚を食べてしまえば,またお腹が空きます.
お腹が空いている人に魚の獲り方を教える.教えただけでは魚が獲れる様にはなりません.
お腹が空いている人に魚が獲れる様にしてやる.これでこの人は生活ができるようになります.

モノを与えるのではなく,知識を与える.
知識を教えるのではなく,能力を育てる.

「教育不如培養」です.


こうして育てた,若者はどんどん外に出してしまう.「企業大学」なので当然卒業させるわけです.
せっかく育てたのに,もったいないと思います.原田師曰く「親ならば他に良い学校があれば,そこに子供を入れてやりたいと願うのは当然だ」あくまでも人を育てることを主眼に置いた経営だったのです.

それは3ヶ月で辞めて行ってしまう女子作業員に対しても同じでした.
「お互いに助け合い,育てあう文化に触れた若者が,農村に帰って子供を育てれば,素質の高い人がどんどん増える.その人たちが,ウチで作っているSONYの製品を買うようになるのだ」と原田師は言っていました.


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posted by 林@クオリティマインド at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする