第五回原田式経営哲学勉強会
2010/7/17
羅国兵 元製造部長
羅国兵 元製造部長
テーマ:SOLID改革初期管理趣事 (2001年7月1日〜2003年6月30日)
1997年12月入社
経歴:財務部長、総務部長、人事部長、品管部長、製造部長
2009年7月31日退社
2009年8月〜 Zent Group 人事部長
原田氏が改革を開始した、抵抗勢力の抵抗の大きいかった時について話します。
原田氏の言葉:抵抗勢力のないものは、本当の改革ではない
講演内容
8年間の経営結果
環境の改革
意識の改革
- SOLID社8年間の経営結果原田氏の言葉:マネジメントの結果は感謝の心と信頼関係を確立すること
日本語の「管理」は人を支配するというニュアンスがあるが、中国語ではそういうニュアンスはない。日本語で言う「マネジメント」と理解してください。
《人》100%ローカル化
《一人当たり売上》 47k USDが126k USDになった
《月売上》2、000k USD → 50、000k Usd
《賃金》連続8年3%以上UP 経営が苦しい時も保証してきた
《付加価値》11%→6。47% 粗利は減ったがシェアは上がった 12%→No。1に
《利益率》 1%確保 ぎりぎりの厳しいポイントで経営していた
《バックオーダー》0
感想:
顧客、資本家、会社、従業員、ベンダー全てに良ければ、真の良い会社 - 2001年組織図
(紫は香港人とフィリピン人、青は日本人2人)- 1824人の95%は湖南出身
人事部長が湖南籍の人のため同郷人を集めた。仕事中は湖南語を話していた。
他省の出身者は、湖南語で馬鹿にされていても分からなかった。 - 部品在庫もたくさんあり、倉庫の在庫は4カ月の状態だった。
従って、製品を出荷し現金が入る前に購入部品の支払いが発生。 - 資金繰りが悪く社内に不満がたまっていた。
- ハンダをベルトに挟んで堂々と盗む人もあった。
同郷人はそのようなことを恥と思っていなかった−−むしろ勇気ある行為と評価されていた - 10万平米の平屋の大きな工場のメリットを生かせば成功できるのではと、原田総経理が就任された。
- 2001年7月1日改革開始
原田総経理は就任して、2年以内に会社と人が明らかに変わったと分かるように改革すると、宣言された。
- 1824人の95%は湖南出身
- 環境の改革 Openな物理環境原田氏の言葉:環境によって人は変わるものである
- 中国の各省から来ている人はそれぞれ育った環境、習慣等が違う。
例えばホテルのような環境では、中国人はごみを捨てたり、唾を吐いたりしないが町ではやる。- 長距離電話は高かったので木の箱に入れて鍵をかけていた。発信は鍵を解かないと架けられなかった。
このようなことをやめて従業員を信用することから始めた。 - 事務所は管理生産を一か所に集めてコミュニケーションを良くした。
事務所の壁をなくした。生産・管理部門の壁を物理的、象徴的になくした。
相手に対するサービス意識もこの環境の中で育てて行った。
財務は秘密の多い場所で、態度も横柄なものが中国では多いが原田さんは他部門と一緒にした。
ワーカーに改革を本当に行うという気持ちが伝わってきた。 - 会議室、事務所、総経理室のドアをガラス張りにして仲間意識を作った。
それぞれの仕事の状態を外から見えるようにし、相互の関心を高めた。 - 工場にあった15か所のトイレのドアをなくした。
臭いのになぜこんなことをすたか−−汚いものをあえて露出して問題を解決する例としてやった - 出勤簿を手書きからタイムカードに変えてすぐ分かり不正が無いようにした。
立場によって特権が発生しないようにして公正に
香港人は遅く来て早く帰っていたがそのようなことができなくなった。
- 長距離電話は高かったので木の箱に入れて鍵をかけていた。発信は鍵を解かないと架けられなかった。
感想:
経営が困難な会社の従業員は、環境を変えたいと考える。この過程で優秀な人材を発掘できる。
平安な状態では誰が優秀で誰が無能かが見えないが困難な改革の中ではよくわかる。
今も環境を変える中で良い人材を見つけることをやっている。
変化の中でいつもニコニコしているような、人は環境変化に適応能力があると、思ったほうが良い。 - 中国の各省から来ている人はそれぞれ育った環境、習慣等が違う。
- 環境の改革 Openな経営環境原田氏の言葉:苦しくて泣くよりは、涙を拭いて改善の方法を考えろ
- 2ヶ月間戦略的に200万USDの赤字を計上した
2003年、ソニーは7%のFOB価格値下げを要求してきた。
他のOEM向上は拒否したが、ソリッドの原田さんは受け入れた。
すべての機種について損益状態を出してソニーと交渉。コスト、収益、費用についてソニーにもオープンにして信頼を得た。ソニーよりの注文が増えた。
更に、コストダウンの結果は、毎月ソニーにFOB価格の改定という形で還元した。これにより利益率は下がったが、シェアが上がり会社の経営数字は良くなった。
ソニーの信頼でインドネシア、マレーシアの生産がソリッドに来た。 - すべての状態を原田さんは公開(部品単価を公開、ローカル幹部の購買決裁権)
- ローカルが計画を立て損益のレビューもする。
目標管理を実施 -- 年度目標
利益1%達成目標としてソニーのPO、生産の結果、固定資産、経費目標を立てた。
重要項目を決めて計画を立てた
9つの部、23の課で独立に給料、制服などの経費も全部含めて計画を立てさせた
毎週生産達成の会議をし、毎月計画の状況の会議をして、計画を3か月ごとにレビューし次期計画を見直していた。
3か月予算に対し赤字が続くと課長から係長に降格
予算の精度が求められる。達成した部署は毎月500元の賞金。
会社の状況はワーカーまで周知され改善への意識が芽生えてくる。 - 購入部品は8500点、日常的に使うものが6000点協力会社216社利益率1%を達成するためにコストダウンをベンダーに要求。
新しいベンダーの開発は20歳そこそこの女子が、手順に沿って進め、2000社の応募ベンダーを絞り込み、50社を採用した。
これにより粗利が下がっても利益率を確保してきた。 - OEM顧客のP/Oキャンセルにより、完成在庫が6000台有った。
香港人はこれを、OEM顧客に内緒で国内市場で売ろうと画策していた。
董事長が出張中に、工場の裏山にこの間製品を集め従業員が見ている前で、15万USD分壊して廃棄した。
翌日董事長がそれを知って非常に怒ったが原田総経理は無視していた。 - 370万USDあった部品在庫も、OEM顧客と工場側の責任明確にし、OEM顧客にも応分の負担を求め、廃棄した。
この処分によりキャッシュフローが改善され、董事長は原田さんを信頼するようになった。
董事長は、小切手の発行も原田さんに任せた。(息子にもさせなかった) - 2008年には部品在庫は7日分
2001年当初、部品在庫は4カ月分あった。2003年に40日分に減らし、2008年には7日分になった。
7日はICなど輸入品。これは全部品の31%。69%は中国調達部品。2時間以内の輸送範囲はJIT、それ以上は3日分のVMI在庫。VMIはソリッド社の倉庫内にあり、工程に払い出した時に検収されるので、事実上JITと同じ。 - 不良はその日の内に処理
修理工がいて、工程内不良品の修理をしていた。不良が多すぎて、残業しても修理が追いつかない。原田氏が着任当時は、1週間以上前の不良品を修理していた。
過去の不良品はそのまま凍結し、その日の不良をその日に修理し工程にフードバックするようにした。
その結果、工程内不良が減少し、2ヶ月間で過去の不良品も一掃することが出来た。 - 生産の変動
最低20k USDから最大500k USDまで月額生産高が振れる。
これを人員確保を含めて対応するのは、並大抵のマネジメントではない。
感想:
信用は大切、実績、行動、性格を持続することから信用は得られる。 - 2ヶ月間戦略的に200万USDの赤字を計上した
- 意識改革−管理者教育原田氏の言葉:必要な権力は自分から取る
- 意識統一
- 管理意識の統一
7月10日から44名の幹部教育を開始
部下の努力でもたらされる結果は管理者が育てた結果<。
7月から11月まで毎日CEOと香港人経理3名に経営者教育を実施。
董事長は当時78歳。 - 2003年7月から毎日10名の部門長の経営朝会(7:30〜)
- 朝会、班長会、係長会議、課長改善、部長改善を毎週曜日別に開催
監査があった時は、良い点悪い点を全部、次の日に全員に知らされる。
この情報公開によって改革を維持してきた。 - 品質のデータを初め、全てをオープンにして運転手・掃除のおばさんまで理念を理解している状態にした。
(林注)運転手が、別の運転手の翌日の予定を全部知っていた。
他部門の人がお互いの部門を理解することによってコミュニケーションがスムーズになる。 - 改善会議では業務報告はしない。改善報告だけをする。
- 原田総経理は麻雀でマネージャーの性格を把握した。
- 管理職は7時半に出社するよう要求した。
香港人は9、10時に出社していたので、抵抗した。
タイムカードの結果を発表してメンツをつぶして自主退社するという方法をとった。 - 失敗の教育を会議で全体にすることにより全体への浸透を図った。一人の失敗が3000人の進歩になる。
- 文句と意見の違いを教え、文句は言わない、改善のための意見を言う環境を整えた。
食堂の改善:
食事がおいしくないは文句
塩味が足りない、油が多いは意見
感想:
改革とは、何も無いところに創造するもの。意識の統一が基本中の基本 - 意識統一
- 労務改革−人事改革原田氏の言葉:自分の職位の2階級上の立場で問題を考えろ
- 職位を決めてから人を配置する−−逆はダメ
- 人事に必要な9つの能力
- 公正な判断力
経営者・ワーカー両者が満足できる解決策を取れる - 階層ごとの部門の範囲・数の規則を作った
部長は2つ以上のかを管理、課長は2つ以上の係りを管理、係長は15人以上のメンバーを管理。 - 3か月で1100名が退職
初めは、従業員はクビになるのを怖れた。経済補償金を出したので最後には退職を望むものも出てきた。 - 経営意識が定着してきた。
- 給与を全面公開
給与体系を4つに分類
A ワーカー
B 修理工 運転手
C 文員
D リーダ・幹部 - 通関・財務・IT等特別知識に依存する仕事を排除した。
通関員が、巨額の接待費を使ったので、接待費は80元/人と決めた。お客様の接待も例外ではない。 - 2001年10月に従業員を完全中国人化した。資本と経営を分離。日本人は原田さん一人。
- 職位を決めてから人を配置する−−逆はダメ
- 意識改革−OJT教育原田氏の言葉:99%の能力は仕事の中から得られる。
- 原田さんは部下が仕事をする前に巡回して問題が無いか調べる。
だから、朝会で部長が知らない質問をできる。
部長が質問に答えられるように部門をよく把握するようになった。 - 8時の朝会に遅刻した部長がいた。朝会メンバーは何も話をせずに、遅刻部長を待った。忙しくて遅れたと言い訳すると、管理能力が足りないからだと叱られた。
- 部長は現場研修をしてワーカーの実感を学習する。
立ち仕事の疲労を理解し、ワーカの作業改善、治工具の改善が増えた。
- 原田さんは部下が仕事をする前に巡回して問題が無いか調べる。
- 意識改革−プロジェクト活動の推進原田氏の言葉:従業員の素質向上、改善意識の向上、協調意識の向上がよい会社の条件
- 2002年4月28日から4つのプロジェクトがスタート
コストダウン、経費削減、食堂改善、副資材の削減。
その内のコストダウンプロジェクトは、2009年6月まで370回毎週開催。 - 2009年には30のプロジェクトが活動していた。
- プロジェクトの権限が決められている(プロジェクト完了時のパーティも予算内で開催できる)
感想:
改革に対する情熱をもち正しい方向に行くことで成功を得ることができる。 - 2002年4月28日から4つのプロジェクトがスタート
議論
Q:給与の公開は難しくないか?個人ごとの調性、中途採用者の個別事情は無いのか?
A:給与は職務で決まっているので公開できる。中途採用者も、給与テーブルに当てはめられ、個別調整は一切無い。
Q:離職率が高く見えるが、なぜか?SOLID社の企業文化を考えると、給与よりは充実した教育環境に引かれる従業員が多いと考えていた。その様な会社で、離職率が高いのが理解できない。
A:今の若い子は情報を持っている。つらい仕事に耐えない。
華南地区の平均は8%だがソリッドはそれより低い7%。
原田氏は、成長したものから外に出てゆく(独立する。より給与の良い会社に転職する)を推奨していた。(ただし文員以上の職員の離職率が1%程度であり、説明しきれない)
Q:2001年7月1日に原田さんが赴任直後に言ったことと、それをどう羅さんは感じたか?
A:管理の状態が見えない
不良率が多いけど理由が分からない
管理職が情報を公開しない
資産の状態が見えない
この様な状況を2年以内に全部改革して会社と人を変えますと言ったことに感動
Q:原田さんと出会って、羅さんの何が変わった?
A:人に使われているという感覚だったが、自立して働いているという感じになった。
Q:人は変化を嫌うものだが、原田さんは、それをどう解いて改革を進めたか?
A:性格を理解して説得していった。
Q:改革後どう維持して行った。
A:PDCA の中に、改善をし続ける仕組みを作った。
毎月課長の改善会議
3か月1度の部長改善会議
により継続的に改善が行われる仕組みを用意、改善を継続することにより改革を維持した。
Q:毎朝の経営会議の運営はどのように行われたか?
A:最初の2年は原田さんがトップダウンでテーマを話した。
2003年以降は部長がルールに基づき進行した。